シャルロット・ブロンテの『ジェーン・エア 』のレビュー

物語は主人公の孤児、ジェーン・エアの苦難の半生を描いたものですが、総じて明るく、ほとんど全てのシーンで、ジェーンの確かな理性と、崇高な信仰心、揺るぎない意志が、ジェーンを幸福へと導いていきます。

ただし、主人公が荒野の大自然の中に、自己の居場所を見出すと言う点、主人公が愛するのが、美少年からはほど遠い醜男であるという点、愛するもの同士が、人間の限界を超越した力によって惹かれあうと言った点については、不思議と妹が書いた『嵐が丘』と共通しています。

やはり荒野で育った姉妹だからこそ感じえた、自然の息吹のようなものが、自ずと作風に影響を与えているのかもしれません。

また、多くの評論家が指摘しているように、ブロンテ姉妹の文学には、家系のルーツであるケルト的な価値観、殊にその死生観が色濃く反映されています。
ケルトでは死と生をサイクルで考えます。
例えば太陽も、沈むことで一度死に、朝また甦るのと考えるのです。
この本の主人公も、ゲイツヘッド→ローウッド→ソーンフィールド→ムア・ハウス→ファーン・ディーンと場所を転々とし、その都度打ちのめされながらも見事に再生していきます。

このように、この本は、『嵐が丘』と対比してみたり、ブロンテ姉妹の生い立ちから考察してみると非常に面白い本です。

ただ、もちろん純粋にこの本だけ見てもいくつかの面白い論点があります。

まず、この作品は、ちょうどヨーロッパの文学が、ロマン主義から写実主義へと移行する、過渡期の文学であったと言うことができます。
前半部分は、ジェーン・バーンズの死、継母の死のシーンなど、リアリズムに裏打ちされているにも関わらず、物語は総じて、ロマンチックです。
ある意味では中途半端かもしれませんが、ただ、そういうところが多くの読者を惹きつけ、そして多くの読者に希望を与え続けてきたのだと思います。

次に、この作品は、女性の自立を促しているかのようで、結局は既存の価値観にどっぷりと漬かってしまっているとも言えます。
確かにどんなシーンでも、ジェーンの自立心が彼女を救ってきました。
しかし、苦難の末に、最終的にジェーンが手にしたものは、富と名家婦人という名声でした。
結局は、自分を助けた語学力も、教養も生かすことなく、家庭に入ることを選択するのです。
このあたりに、自立したものの、結局は既存の価値観から抜けることができない、当時の女性の限界があらわれているような気がします。

とは言っても、個人的にはそこは否定的に捉えるべきではないと思っています。
なぜなら、ジェーンの場合は、ゴールは月並みでも、そこに至るまでに、自分の頭でよく考え、そして自分の本心でそこに至ったというプロセスがあるからです。
このような「自分の頭で幸せとは何かを考える」プロセスの重要性を示している点で、この作品はやはり示唆に富んでいると思います。