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ドストエフスキーの『地下室の手記』のレビュー

この作品は、ドストエフスキーが後の大作群を生み出す契機となったとも言われる作品です。

かなり現代的な表現で恐縮なのですが、スター・ウォーズ的に言うと、ドストエフスキーのダークサイドのみを切り取ったのがこの作品と言っても過言ではないでしょう(笑)

まるでゴーゴリの『狂人日記』のようなこの作品は、俗世間に嫌気が差し、地下の小世界に閉じこもったある官吏の、卑屈で秘密の快楽に充ちた独白の形式を取って綴られています。

自身の意志の薄弱さと容姿や身分に対するコンプレックスの塊である「彼」は、地下室の中で、人間の理性の働きについて、そして人間の快楽について一人悪魔的に思いを巡らせます。

彼は、当時主流であった科学と理性とによって人間の善性が目覚めるという考え方は真っ赤な嘘であり、人間は例えそれが理性に照らして非合理的なものであっても、自分が利益とみなしたものに盲進する利己的な存在であると主張します。(※この主張はチェルヌイシェフスキーの『何をなすべきか』に対するアンチテーゼとも言われています。)

また、人間の内部には、ある種の「正反対の要素」があり、人間は潜在的に二重人格であると主張します。

また《生きた生活》(リアル・ライフ)の中で受ける屈辱や苦痛は、そのまま《地下室の生活》においては、ひそかな快楽に変わるという、マゾ的な議論も展開しています。

そう、ひとことで言うと、とても卑屈なのです。

但し、この狂ったような官吏の独白には、様々な真実も隠されているような気がします。

彼は虚飾が蔓延り、弱肉強食に彩られた《生きた生活》では日の目を見ることができないために、自分が輝くような場所を、自分で見つけ出す必要があったのではないでしょうか。
そしてその場所が『地下室』であったわけです。

この『地下室』という言葉も非常に暗喩的ですが、文字通りの『地下室』の陰鬱なイメージに加えて、心の中の『地下室』という意味合いも、もちろんあるのだと思います。

そこは、虐げられた人びと、そして社会の一元的なものさしによってバッサリ切り捨てられてしまった人々が非難するシェルターでもあり、そして社会への復讐を画策する秘密基地でもあったわけです。